人間とはいかなるものか?

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人間とはいかなるものか?・・・この問いに対してはいろいろな答えが想定できることでしょう。その答えのひとつとして、

本能心と理性心があるときは助け合い、あるときは対立して、葛藤を繰り返すもの

というとらえ方ができます。この考え方は、心と言うソフトウェアの側面から、人間というものの本質を理解するときに、絶対避けて通れないテーマなのです。

人には、明確に「本能心」と「理性心」といった別々の心があるわけではありません。同じ心の一部分であり、脳の働きです。本来一体のものですが、「本能心」と「理性心」に分けて二元的に考えることで、いろいろ説明がつきやすいのです。

本能心とは、食欲や性欲に加えて、闘争心、恐怖心、嫉妬心など、自分の肉体や生命を守ろうとする心のことです。私たちは基本的に、この本能心を判断基準にして、ものごとを決めていきます。しかし、それだけでは動物と同じ、ということになってしまいます。

たとえば、いやなときにいやな顔をし、おそろしいときに不安な気分になり、腹の立ったときに怒るのは、動物にもできることです。本能心は動物心とでもいうべきでしょう。こんな心の持主にはだれもがなれるものに違いありません。地のままでいいのだから、練習の必要もないことでしょう。

しかし、困ったときにも笑っていたり、いやなことにも平気でいたり、自分にひどい仕打ちをした人でもゆるしたりする心を持つには、それなりの人生経験を経て修養を積まなくては不可能です。理性心、言い換えると人間心、とはそういう練習を通じて身につけるもの、と考えられます。

本能心は抑えていくことが必要です。本能心を抑えていくと、理性心が働く余地が生じます。その結果、ものごとに高次の判断力を加えることができるわけです。しかし、本能心なくして人間は生きられないことを考えれば、本能心の抑制はたいへん難しいことに違いありません。

本能心は、人類がその進化の過程で長年にわたって遺伝的に身につけた習慣の心であり、そうそう簡単に抑えられるものではないからです。本能心を無理に押えつけると、強いストレスを生じ、煩悶を引き起こします。その結果、心の病や自律神経の異常を引き起こしたりするほどです。

ですから、本能心をなくしたり、完全に統御したりすることはまず絶対に不可能、という現実を十分わかった上で、本能心といかにうまく付き合うか、というのが大切です。人生の達人とは、乗馬の達人のごとく、本能心を肯定しつつ、巧みに乗りこなす人なのです。

達人の人生とは、仕事や人間関係に、不安なく、迷いなく、思い切り打ち込むことができる人生です。いつも良い気分で仕事に取りかかれて、人と関わることが楽しめ、望むことが思ったとおりに実現していく人生なのです。つまり、不安や恐怖といった本能心に根ざした習慣の心が見事にコントロールされていて、望まざるものを引き寄せないわけです。

それに対して、凡人の人生は、仕事や人間関係に不安があり、迷いがあります。起きてもいないことを心配したり、済んだことを後悔したりして、今を楽しめない人生なのです。当然、人と関わることも苦手で、他人の共感や引き立てを受けることもかないません。つまり、不安や恐怖といった本能心に根ざした習慣の心に見事に支配されていて、不安に駆られた通りに望まざる結果を引き寄せるわけです。

しかし、達人であれ、凡人であれ、不安や恐怖も生きていくのに必要な感情であることに変わりはありません。不安や恐怖があるから危機管理ができて、身を守ったり、不測の事態に備えたりできるのです。

この違いはどうして生じるのでしょうか。達人のありさまは、心の持ち方、使い方について、正しく理解し、日々練習を続けた結果ということができるでしょう。不安や恐怖といった心は、必要なときだけ焦点が当てられ、ふだんは意に介さないように訓練されている、というわけです。

人間の心は突発的なジャンプで急に向上することはありえませんが、日々の練習の結果、確実に進化するものです。理性心で毎日繰り返し考えていることは、茶葉のエキスのように、時々刻々本能心に溶け込んで、習慣化していくものだからです。
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by bfath602 | 2011-08-17 12:10


どうすればもっと出版の成功率を上げることができるのでしょうか。やり方はあります。それはコーチングを使うことです。


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