ハイヤーセルフはローワーセルフを無条件に愛する
2011年 07月 16日
ハイヤーセルフとはトランスパーソナル心理学特有の言葉だそうだ。一言で言えば人間の神性の部分で、「霊魂」「御魂」(みたま)といった言い方もされる。一方、感情や理性はローワーセルフであり、意識や無意識のことである。
通常、人間は意識や無意識に没入(同一視)しており、それが自分自身だと思っている。しかし、意識や無意識から一歩引いて、自分が自身の観察者に立つと、ハイヤーセルフが見え始める。実はハイヤーセルフこそ真の自分のアイデンティティなのだ。しかし、修行を積んだ人ならともかく、一般人はふだんハイヤーセルフを意識しない。
スピリチュアルな修行とは、ローワーセルフへの没入や同一化を破ることだ。ローワーセルフを破壊したり、変えたり、否定したりしようというのでは決してない。単に、ローワーセルフからハイヤーセルフに「私」の感覚の切り替えをすることなのだ。
ハイヤーセルフはローワーセルフを無条件に愛するものだ。分身に対するありようはこれしかない。ローワーセルフが敗北にまみれてボロボロでも、ハイヤーセルフの愛とは 『それでも愛する』 の愛だ。ハイヤーセルフには、好きや嫌いはない。ただただローワーセルフという愛の対象があるだけだ。
ローワーセルフが痛みや苦しみの感情を抑圧せず、じっと耐えていると、ハイヤーセルフの愛はローワーセルフの痛みや苦しみを溶かすのだ。ローワーセルフの痛みや苦しみとは結局、無意識に蓄えられたカルマが現象として形を現したものと考えられる。それをハイヤーセルフは愛で癒やすわけだ。
そうなれば、耐え難かった問題も、それほどではなくなる。そして恐怖感にも振り回されなくなってくる。そして分裂していた自己は、統一統合に向かう。
結局、無意識を浄化して開運しようと思えば、耐え難い感情をハイヤーセルフにありのまま委ねて癒やしてもらうことに尽きる、ということになる。この場合、変にリフレーミングして、感情を抑制しないことが大切だ。結果はこうあらねばならない、という自分なりの解釈を捨てることで、ハイヤーセルフの智恵が働いて、真の成長が訪れる、というわけだ。
以上が心の癒やしの理屈である。理屈はわかっていても辛いものは辛いが、恐怖感におののき続けるのとは雲泥の差だと思う。ちなみにハイヤーセルフのイメージは「精神世界の太陽」とでもいったところだろうか。
by bfath602
| 2011-07-16 15:52